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2011年03月04日
当時の事 ラスト
長年待ち望んだ我が子・・・
無事、うまれてくれてありがとう

私の母親に見せるコトは叶わなかったけど・・・
やっと、自分たちにも子供が出来た♪
退院の検査の際、
脳にある [海馬] が委縮してまわりに空洞が出来てます。
海馬の機能は、物を覚えたり 怖いという恐怖心をつかさどる部分なので
記憶がおぼつかなかったり・・・恐怖心がない子になるかも知れない。。。
そう言われ、リハビリのつもりで
0歳から幼児教室に通わせたりもしました。。。
その甲斐もあってか!? 今ではまったく普通の子供と変わらなく過ごしてる♪
記憶も・・・
これ、この前やったよね!!
って、言われた時は 抱きしめてしまったなぁ。。。
・・・・・何事もなくなると、すっかり忘れてしまう当時の記憶
ちょっとした事で、つい怒ってみたり(笑)
そんな日々を過ごしていた時に送られてきた市立病院からのアンケート
当時の事を思い出しながら・・・
本当に、当時のドクターや看護師さんには心より感謝しています

出産までの(嫁sanの)定期検査は、常に問題なし!!
それが、あの日に急変して...
だから、それ以来まわりの人が妊娠したら
『血圧だけは必ずチェックして!』
『臨月だからって、安心したらダメだょ!』 と。
なかなか子供に恵まれなくて、一時期は諦めていた頃もあったのに・・・
気付けば、子だくさん家族(笑)
この子たちは、どんな大人になっていくのか!?
楽しみでもあり、正直不安も。。。
まだまだ早いですが
将来、孫の顔を見れる日がくるのかなぁ!?
重い話は、これでおしまい♪
複雑過ぎるとの指摘もうけたしネ(笑)
オチは大事ょ

だから、またいつものような記事に戻ります。。。

2011年03月04日
当時の事②
市立病院に着いて、子供の治療が行われる周産期治療センターで
担当のドクターから話を聞くと・・・
急な妊娠中毒症の為
胎盤剥離が起こり、子供が呼吸出来なくなったまま出産したので
赤ちゃんが 呼吸出来ない状態だったらしい。。。
どれくらい苦しかったかを示す検査をした所
絶望的な数値が出て
まだ生きてうまれただけでも奇跡です
(男の子だったら、多分死産だったでしょう) と
胎盤剥離で呼吸が出来ないと、脳に酸素が行かなくなり
このままだと、脳が膨れて死んでしまうか・・・
命が助かっても、まず障害は出ます。。。
今、低酸素性虚血性脳症に対する最新の治療法のひとつに
【脳低温治療法】というものがありますが・・・
それを受けますか?
・・・どういう治療なのかは分かりませんが、なんでもお願いします!!
脳低温治療とは、体温を下げて冬眠状態にする事らしいのですが
治療が始まると、72時間必ず続けないといけないらしく
後は、子供の身体がその治療に耐えられるかどうかだ、と。。。
首から脳に向かう大きな血管の一つをつぶしてそこから治療をしますが
その血管は、もう使えなくなります。。。
~その血管がなくても、将来不自由はありませんか?~
脳に向かう血管は何本かありますから、それは大丈夫です!
~可能性が少しでもあるのなら、是非お願いします!!~
それからは、病院に顔を出す度に
[ よかった
まだ大丈夫
]
~新生児センターへは、親しか出入が認められず
嫁sanも出産した日の夜中、体調が急変して市立病院へ緊急搬送され
自分達の赤ちゃんのこの状態を見れるのは私しか居なかった~
時間が空くたびに、病院に走り 子供の状態を見て・・・
その後、嫁sanの病室に行って 義母達に報告。。。
~この頃は、嫁sanの方も 血圧が200を超えたりかなり深刻な状態~
この72hという時間が、とてつもなく長い時間に感じ・・・
無事、72hを耐え切ったときには知らず知らずに涙が溢れてきました。。。
その後、しばらくは集中治療室での治療が続きましたが
体にはまだまだ管がいっぱい。。。
それでも
初めて目を開けた♪
初めて手をつないだ♪
一日一日が、感動でいっぱいでした。。。
~ その頃には、嫁sanも回復してきて・・・車椅子に乗って初めての対面♪ ~
のんちゃんも、NICUを出て回復室に移って来ていたので
抱いてみてもいいのかと・・・一応、そばに居た看護師に確認して
初めて抱いた~~~っと感動に浸って居ると
向こうに居た看護師やドクターから、まだ抱くには早いデス!! と怒られ・・・
・・・こっちは、確認して抱いたのに~(`ε ´;)
せっかく回復室に移って来たものの・・・
またNICUに逆戻り (‐_‐;)
七夕(8月7日)には、短冊に “早く元気になりますように♪”
みんなの願いは、たった一つだけだったネ
再度、回復室に戻って来てからは順調に。。。
お盆には家族全員揃うように、と前倒しで退院させてもらいました
担当のドクターから話を聞くと・・・
急な妊娠中毒症の為
胎盤剥離が起こり、子供が呼吸出来なくなったまま出産したので
赤ちゃんが 呼吸出来ない状態だったらしい。。。
どれくらい苦しかったかを示す検査をした所
絶望的な数値が出て
まだ生きてうまれただけでも奇跡です
(男の子だったら、多分死産だったでしょう) と

胎盤剥離で呼吸が出来ないと、脳に酸素が行かなくなり
このままだと、脳が膨れて死んでしまうか・・・
命が助かっても、まず障害は出ます。。。
今、低酸素性虚血性脳症に対する最新の治療法のひとつに
【脳低温治療法】というものがありますが・・・
それを受けますか?
・・・どういう治療なのかは分かりませんが、なんでもお願いします!!
脳低温治療とは、体温を下げて冬眠状態にする事らしいのですが
治療が始まると、72時間必ず続けないといけないらしく
後は、子供の身体がその治療に耐えられるかどうかだ、と。。。
首から脳に向かう大きな血管の一つをつぶしてそこから治療をしますが
その血管は、もう使えなくなります。。。
~その血管がなくても、将来不自由はありませんか?~
脳に向かう血管は何本かありますから、それは大丈夫です!
~可能性が少しでもあるのなら、是非お願いします!!~
それからは、病院に顔を出す度に
[ よかった


~新生児センターへは、親しか出入が認められず
嫁sanも出産した日の夜中、体調が急変して市立病院へ緊急搬送され
自分達の赤ちゃんのこの状態を見れるのは私しか居なかった~
時間が空くたびに、病院に走り 子供の状態を見て・・・
その後、嫁sanの病室に行って 義母達に報告。。。
~この頃は、嫁sanの方も 血圧が200を超えたりかなり深刻な状態~
この72hという時間が、とてつもなく長い時間に感じ・・・
無事、72hを耐え切ったときには知らず知らずに涙が溢れてきました。。。
その後、しばらくは集中治療室での治療が続きましたが
体にはまだまだ管がいっぱい。。。
それでも
初めて目を開けた♪
初めて手をつないだ♪
一日一日が、感動でいっぱいでした。。。
~ その頃には、嫁sanも回復してきて・・・車椅子に乗って初めての対面♪ ~
のんちゃんも、NICUを出て回復室に移って来ていたので
抱いてみてもいいのかと・・・一応、そばに居た看護師に確認して
初めて抱いた~~~っと感動に浸って居ると
向こうに居た看護師やドクターから、まだ抱くには早いデス!! と怒られ・・・
・・・こっちは、確認して抱いたのに~(`ε ´;)
せっかく回復室に移って来たものの・・・
またNICUに逆戻り (‐_‐;)
七夕(8月7日)には、短冊に “早く元気になりますように♪”
みんなの願いは、たった一つだけだったネ

再度、回復室に戻って来てからは順調に。。。
お盆には家族全員揃うように、と前倒しで退院させてもらいました
