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2011年03月01日
当時の事①
鹿児島市立病院から1通の手紙。。。
総合周産期センターから 【アンケート調査】 への依頼。
~のんちゃんがうまれたのは、平成17年6月某日~
出産予定日は7月1日で、その日は定期健診の日でした。
朝から、妻が頭痛を訴え・・・でも私は、会社に行く時間が迫っていたので
その日、たまたま前日から義母が泊りに来ていたので
義母にも
『今日は、検査日だから頭痛の事も聞いてあとは宜しく!!』 と会社へ出社しました。。。
お昼12時頃、 義母から慌てた様子で携帯電話に連絡が。
私はその頃、上司から頼まれた弁当を取りに “ほか弁”に居ました。。。
『○○○の体調が、急変して緊急帝王切開になるけど
ご主人の了解が要るって言うから電話した!! 了解でいいでしょ!!!!! 』
あまりに突然のコトで、気が動転して・・・
『 もちろん、すぐ手術して!! オレもすぐ病院に行くから!!!!! 』
上司に頼まれたお弁当でしたが・・・
たぶん、投げ捨てるように渡して、病院に走った記憶があります。
病院に着くと、まさに子供が妻のお腹から取りだされた瞬間でした。
泣かない
先生達は、予測済みですでに市立病院に連絡してあり、
(鹿児島市立病院の新生児センターは国内でも有数の周産期センターらしい)
現場では取りだした子どもの口にチューブを挿しこみ、呼吸を促します。。。
一定のリズムで・・
でもかなり早いタイミングでポンプから空気を送り込みます。
しばらく、目の前で行われている現実を受け入れられずに
ボ~ッとしていましたが
ふと我に返ると
ポンプを動かす看護師さんの手が疲れからか 遅くなってきていたので
『代わりましょうか?』 と、自分で子供に空気を送り始めました。。。
すぐに、腕の筋肉に乳酸がたまってキツくなってくるのですが
なかなか子供に恵まれず、10年かけてやっと対面できた “我が子”
絶対に、泣かせてみせる!! との想いで 必死に空気を送り込み・・・
【 市立病院の救急車が到着 】
新生児のドクターも一緒に来てくれていて・・・・・
少し安心したら、その場に座り込んでしまいました。。。
子供は、そのまま救急車で市立病院に向かい
私は、手術台の上でまだお腹が開いたままの妻の体の前で
その産婦人科の先生から
今までの経緯、今後の妻と子供の予測等の説明を聞いたと思います。
が・・・まったく頭に入ってきませんでした。。。
唯一、覚えているのは
話をしながら、先生が妻のお腹の臓器を取り出しながら説明したり・・・
血で一杯のお腹で、ポチャンポチャンと手遊び?をしている所

まぁ、手遊びという訳ではないのでしょうが、かなり衝撃的な光景。。。
説明の後、事後報告の手術同意書等の書類をもらい
私は一人、子供の待つ市立病院へ。
かなり長くなるので、何回かに分けて書きたいと思いますが・・・
かなり
重い内容なので、このシリーズはスル~していただいて構いません。。。
ただ・・・
将来、娘に自分がうまれた当時のコトは事細かに伝えるために。。。
