当時の事①

K2

2011年03月01日 23:25


鹿児島市立病院から1通の手紙。。。




総合周産期センターから 【アンケート調査】 への依頼。



~のんちゃんがうまれたのは、平成17年6月某日~

出産予定日は7月1日で、その日は定期健診の日でした。





朝から、妻が頭痛を訴え・・・でも私は、会社に行く時間が迫っていたので

その日、たまたま前日から義母が泊りに来ていたので

義母にも

『今日は、検査日だから頭痛の事も聞いてあとは宜しく!!』 と会社へ出社しました。。。







お昼12時頃、 義母から慌てた様子で携帯電話に連絡が。



私はその頃、上司から頼まれた弁当を取りに “ほか弁”に居ました。。。




『○○○の体調が、急変して緊急帝王切開になるけど
  ご主人の了解が要るって言うから電話した!! 了解でいいでしょ!!!!! 』


あまりに突然のコトで、気が動転して・・・

『 もちろん、すぐ手術して!! オレもすぐ病院に行くから!!!!! 』





上司に頼まれたお弁当でしたが・・・


たぶん、投げ捨てるように渡して、病院に走った記憶があります。







病院に着くと、まさに子供が妻のお腹から取りだされた瞬間でした。









泣かない






先生達は、予測済みですでに市立病院に連絡してあり、
(鹿児島市立病院の新生児センターは国内でも有数の周産期センターらしい)



現場では取りだした子どもの口にチューブを挿しこみ、呼吸を促します。。。




一定のリズムで・・
でもかなり早いタイミングでポンプから空気を送り込みます。





しばらく、目の前で行われている現実を受け入れられずに



ボ~ッとしていましたが



ふと我に返ると
ポンプを動かす看護師さんの手が疲れからか 遅くなってきていたので



『代わりましょうか?』 と、自分で子供に空気を送り始めました。。。







すぐに、腕の筋肉に乳酸がたまってキツくなってくるのですが



なかなか子供に恵まれず、10年かけてやっと対面できた “我が子”



絶対に、泣かせてみせる!! との想いで 必死に空気を送り込み・・・






  【 市立病院の救急車が到着 】



新生児のドクターも一緒に来てくれていて・・・・・




少し安心したら、その場に座り込んでしまいました。。。






子供は、そのまま救急車で市立病院に向かい


私は、手術台の上でまだお腹が開いたままの妻の体の前で


その産婦人科の先生から


今までの経緯、今後の妻と子供の予測等の説明を聞いたと思います。






が・・・まったく頭に入ってきませんでした。。。






唯一、覚えているのは


話をしながら、先生が妻のお腹の臓器を取り出しながら説明したり・・・



血で一杯のお腹で、ポチャンポチャンと手遊び?をしている所



まぁ、手遊びという訳ではないのでしょうが、かなり衝撃的な光景。。。








説明の後、事後報告の手術同意書等の書類をもらい

私は一人、子供の待つ市立病院へ。







かなり長くなるので、何回かに分けて書きたいと思いますが・・・




かなり



重い内容なので、このシリーズはスル~していただいて構いません。。。




ただ・・・
将来、娘に自分がうまれた当時のコトは事細かに伝えるために。。。



関連記事